質問編

石井方式は、文部省の学習指導要領に違反しないか。文部省の教科調査官や教委の指導主事の中には、違反であると言って禁止する者もあると聞いているが、事実か。
石井先生は、文部省の信頼を受けて実験しているから、責められないのであって、普通の教師が石井方式を実施するのはいけないのではないか。
石井方式が学習指導要領違反でない、ということについて、何か責任ある回答の文書はあるか。
まだ、“かな”も覚えないというのに、漢字などを教えて、子供に覚えられるだろうか。
うちの子は、特殊学級でなければ学習に耐えられないだろうと言われている、能力の低い子供だが、それでも漢字学習をさせて大丈夫だろうか。
“漢字は覚えやすい”というのは、“読み”のことであって、“書く”ことはやはりむずかしいのではないか。
国語審議会で、「明治以後の漢字教育は“読み書き同時教育”であることに対し、今は、石井方式の“読み書き分離教育”を新たに考えるべきである」ことの提案があり、論争が行なわれたという。その詳細について知りたい。
読み先習の意義はわかったが、具体的には、いつ、どのように“書く”指導を始めるのか。
小学校では、いつ、どのように、“書く”指導を始めるのか。小学校の教師としての立場からその指導法を問う。
目をつむれば漢字の字形が頭の中に描かれる時期を、いつ、どのようにしてとらえるか。その方法を教えていただきたい。
幼児には書かせないほうがよいと言うが、書きたがる場合はどうか。また、その場合筆順がでたらめなのをどう指導するか。
筆順指導はどうあるべきか。その基本的な考え方と、具体的な指導法を問う。
昔、自分たち(母親)の習った筆順と今の筆順と違うものがあるが、今の筆順でなければ誤りになるのか。
幼稚園では、文字を教えることよりも、情操教育とか、友だち間のつき合いとか、もっと別の面にすべきことがあるのではないか。
漢字学習がなぜ他の領域の学習効果を高めるのか、その実際を知りたい。
漢字は三歳の幼児にも覚えられると言うが、そんなに幼児に漢字を教えたら、変な頭になる心配はないか。
“漢字で学習する”ことの価値は何か。
漢字は原始的な文字で、最も非能率的な文字で、できる限り廃棄すべきものではないか。
漢字は、コンピューターに載らない、と言われ、これからの世の中には“表音文字”でなければ用をなさない、と言われるがどうか。
漢字が読めるということで、変な優越感をもつ心配はないか。また、小学校で、そのために疎んぜられる心配はないか。
幼稚園で漢字を覚えても、小学校に進んで漢字を使わないでいたら、すっかり忘れてしまうのではないか。無駄になるのではないか。
漢字の多い書物に読みなれて、小学校に進んでかなばかりの書物に触れた時、かえって子供はとまどうのではないか。
石井方式を実施するために必要な条件は何か。だれでも、どんな子供にでも、実施できるか。
石井方式を実施するのに、最も必要な心がまえは何か。
漢字に対して、全く興味も関心も示さない場合にはどうしたらよいか。